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名護のヒートゥー狩り

さて、ここで春から初夏にかけて名護の風物詩となっていた、今はなき「ヒートゥ狩り」について、もう少し詳しく紹介しておきたい。

クジラ類は動物分類上はクジラ目といい、ヒゲ(髭)クジラ亜目とハ(歯)クジラ亜目に二分される。ヒゲクジラは口内に歯を持たず、クジラ髭を使ってオキアミなどの小動物を濾過して食べるが、代表的なクジラにはシロナガスクジラ、ザトウクジラなどがおり、一般的に大型だ。

これに対し、ハクジラは口内に歯が生えているクジラ類をいい、主に魚類やイカ類を食べる。ヒゲクジラに比べて小型で、体長もせいぜい四、五メートル以下のものが多い。名護でピトゥ(沖縄では一般的にヒートゥ)と呼ばれるクジラはコビレゴンドウをいう。だが、広い意味ではこのコビレゴンドウのほかに、オキゴンドウ、カズハゴンドウ、バンドウイルカ、マダライルカなども含まれる。

名護の漁師たちは、これらのクジラに対して昔から特別な意識を持っていたといわれる。特別な意味を込めてクジラのことを「テンシンガナシ」、またピトゥのことを「ピトゥガナシ」と「ガナシ」(神霊に対する敬称)を付けていたことからうなずけることだ。

ヒートゥは群れをなして回遊し、名護湾には主に三?六月の季節に接近する。名護湾の沿岸住民は海の沖合から来る生物や漂着物をユリムヌ(寄り物)として歓迎していた。ユリムヌにはヒートゥをはじめ、スク(アイゴの稚魚)、ガチュン(メアジ)などがあった。名護のヒートゥ狩りの起源は不明だが、「沖縄群島水産誌」(明治二十二年刊)には、明治二十年名護湾にヒートゥが来遊し、八十頭捕獲したと記されている。このころの追い込み漁は、来遊してきたヒートゥの群れに対し、船の上から石を投げて威嚇し、浜の方に追い込んでモリを投げて仕留めた。このような漁法は戦後、名護湾が埋め立てられるまで続いた。

ヒートゥの群れの規模は年によってまちまちだ。十数頭の年もあれば、二百頭近くの大群の年もある。
これまでの中では一九四一年(昭和十六年)四月一日の三百頭が最大規模だ。

名護名物のヒートゥ狩りは、漁師をはじめ名護沿岸の住民にとって大事な行事である。ヒートゥが来遊する時期になると、住民の血が騒ぐらしい。「ピトゥ、どーい」(ピトゥだぞ!)との触れ込みがあると、野良仕事に出掛けていた人たちも急ぎ家に戻り、軒下などに保管していたモリを片手に海岸に掛けつけ、ヒートゥ狩りに参加した。これは戦前の話だが、学校の卒業式の日に、ヒートゥが来遊した。「ヒートゥ、どーい」の触れ込みが式場に伝わった。一瞬、皆の顔色が変わった。先生も生徒も我慢できずに皆、浜に飛び出してしまい、式場には総代役のディキヤー(優等生)だけが取り残されたーというエピソードもある(昭和三年生まれの名護市港区の男性の話)。

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