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スクラップブーム

朝鮮戦争の特需景気で日本経済が活気を取り戻したのは先に触れた通りである。特に沖縄は、鉄の需要が一気に高まったことで鉄くず回収、いわゆるスクラップ・ブームに火がついた。この鉄くずの輸出は、これまで輸出のトップを占めていた砂糖輸出を上回るほど勢いがあった。そこで私もかかわったスクラップ業の最盛期について、沖縄で初めて鉄鋼業を立ち上げた拓南製鐵株式会社の創立者、古波津清昇氏の出版物「起業の心得帖ーチャンスを生かせ」を参考にしながら、当時の状況をたどってみたいと思う。

沖縄の海域に眠る軍艦等の廃品および地上に散在する不発弾など鉄くずは、戦後間もないころは米軍にその所有権があり、外国企業や本土企業が入札に参加し、米国政府と契約して大きな利益を上げる仕組みとなっていた。地元企業が入札に参加できたのは一九五三年(昭和二十八年)である。入札の権限を米国政府が琉球政府に委譲したことによるものだが、地元企業はこれに勢いを得て同年、四〇〇〇トンの鉄くず回収の落札に成功した。落札したのは拓南製鐵の前身である拓南商事と正和産業、丸宮商会の三社だったという。当時、鉄のスクラップはトン当たり四〇ドルだったものが、一気に一・七倍強の七〇ドルへはね上がるありさまだった。漁師も魚を採っているより鉄くずの回収作業が金になると判断し、サバニ(小船)二隻一組で回収作業に当たった。我も船を操り、廃船の解体と鉄くず回収に血眼になったものである。

さて、スクラップ輸出ブームの三年間、沖縄の対外収支は黒字を計上した。金額は次の通りである(ドル計算)。

▼五五年(昭和三十年)一、〇一〇万ドル
▼五六年(同三十一年)  四七〇万ドル
▼五七年(同三十二年)  九一〇万ドル

沖縄の総輸出に占める鉄くずは、この期間に飛躍的に伸びた。特に五六年は総輸出額二、〇一六万ドルのうち一、一六九万ドル(五八%)を占めるという成長ぶりだった。これまで主要品目としてトップの座にあった砂糖の輸出割合(三二・七%)をしのぐ勢いだったのである。

しかし、このスクラップ・ブームは三年で終わった。やがて鉄くずの価格は暴落し、取引が引き合わぬ状況となっていった。その後は製鉄の原料として県内の鉄鋼業界が買い入れ先となり、消費されるようになった。スクラップブームが終わった後の五年間の対外収支は大幅な赤字を計上した。

先に触れた通り、スクラップ・ブームの時期に私もサバニを繰り出し、海底に沈んだ軍艦の解体、回収作業に参加し、一儲けしたものである。スクラップは回収すれば金になるという時代で「スクラップ成金」も誕生した。

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