ホーム » 誠 -わが半生の記-

誠 -わが半生の記-

発刊を祝う  沖縄県議会議員  安里 進

敬愛する上間義夫氏が自分史を発行されるに当たり、後輩として、この出版をお喜び申し上げますとともに、衷心より敬意を表する次第であります。実は私と義夫氏との関係は、振り返ってみると、義夫氏が名護の城通りに上間金物店を開店したころに始まります。店の開店が一九五七年(昭和三十二年)といいますから、あれこれ四十七年が経過していることになります。

そのころ、私は県立名護高校三年のころで、同期生であった親友の宮城進君(義夫氏の夫人・ヨシさんの弟)と一緒に金物店を訪ねたことがきっかけです。それ以降、義夫氏を身近に感じ、今日でも飲み友達としてお付き合いをさせていただいているところであります。

さて、今般の上間義夫氏の自分史を拝読して、義夫氏が青年時代、ずいぶん苦労され、海人から現在の会社を立ち上げたことに改めて敬意を表するものです。もちろん、それを支えてきた最大の功労者は、奥さんのヨシさんであったことは言うまでもありません。「夫唱婦随」で幾多の苦難を乗り越えての会社設立であったろう、と推察申し上げるものであります。

自分史の文中、今は絶えましたが、名護のヒートゥ狩りの話、名護の食文化の話など、興味深く読ませていただきました。また「我部祖河の偉人」の章では、我部祖河出身の上間幸助氏が沖縄自由民権運動で名をはせた謝花昇や移民の父、当山久三らと運動を共にしたという歴史的事実は、沖縄県民として忘れてはならぬものだと改めて認識させられました。

上間鋼材株式会社、ウエマ産業株式会社も今は息子の雅之氏に引き継がれ、会社体制は磐石なものになっているようであります。雅之さんは現在、沖縄県商工会青年部連合会の会長に就任されており、社会的にも活躍し、実に頼もしい限りであります。

終わりに、十分意を尽くしていませんが、義夫氏が私達後輩のために、ご自愛され、余生を悠々自適に過ごされることを祈念申し上げ、自分史出版の祝辞とさせていただきます。

まえがき  上間 義夫

一九五七年(昭和三十二年)に私とヨシで立ち上げた個人経営の店(上間金物店)ができてから早くも半世紀。ずいぶん前のことだが、創業時の辛さ、厳しさは昨日の出来事のように私の脳裏に焼き付いている。

台湾での漁業生活、ラバウルでの戦争体験などが遠い記憶のかなたにあるが、運が味方してくれたのか、海上で、あるいは戦場で命を落とすこともなく、無事、沖縄に生還を果たし、ヨシと巡り合った。運命的な出会いとしか思えないが、五十五年の長き年月、共に連れ添い、ここまでたどり着いた。

上間金物店も上間鋼材株式会社、ウエマ産業株式会社として大きく発展し、長男の雅之に引き継ぐことができた。実に感無量である。願わくば、これらの会社が新しい時代の風を受け、波に乗って、激動の二十一世紀をたくましく乗り越えてほしいものだ。そして事業の継続、発展を成し遂げてほしいと祈るばかりである。

私は一男五女の子宝に恵まれた。私は仕事一筋に生きた面が強く、子供たちが満足できるような接し方をしてきたとは決して思えないが、父親としては家族に経済的な負担をかけぬよう、私なりに懸命に努力してきたことは事実である。一人ひとりの子供たちが私なりに懸命に努力してきたことは事実である。一人ひとりの子供たちが私をどう思っているのか知らないが、子供たちも私の気持ちを汲んでこれからも頑張ってほしいと切に願っている。

やそじ(八十路)を迎える年齢に達した。私の古里、我部祖河への思いも日に日に強くなっている。我部祖河の発展に関しては、今後とも協力し、支援していくつもりである。これまでの生き方を「誠ーわが半生の記」としてまとめる機会を得た。大それたことを述べるつもりは毛頭ないが、一庶民の生き方として読んでいただければ、これに過ぎる喜びはない。

二〇〇四年夏

目次